明治三十六年の秋十月の頃より米國に遊びて今茲明治四十年の夏七月フランスに向ひてニューヨークを去るに臨み、日頃旅窗に書き綴りたるものを採り集めて、あめりかものがたりと題し、謹んでわが恩師にして恩友なる小波山人巖谷先生の机下に呈す。明治四十年十一月里昻にて永井荷風。
出帆した日、故國の山影に別れたなら、船客は彼岸の大陸に逹する其の日まで、半月あまりの間、一ツの島、一ツの山をも見る事は出來ない。昨日も海、今日も海―――何時見ても變らぬ太平洋の
私は圖らずも此淋しい海の上の旅人になつた。そして早くも十日ばかりの日數を送り得た處である。晝間ならば甲板で
「お這入んなさい。」と私は半身を起しながら呼掛けた。
戶が開いて、「どうした。又少し動くやうぢや無いか。弱つとるのかね。」
「寒いから引込んで了つた。まア掛け給へ。」と云ふと、
「全く寒いな。アラスカの沖を通るんだと云ふからな。」と餘り濃くない髯を生やした口許に微笑を浮べながら、
中肉中丈、年は三十を一ツ二ツも越して居るらしい。
「日本なら今頃は隨分好い時候なんだがな…………。」
「さう、全くだよ。」
「何か思ひ出す事でもありやしないかね。」
「はゝは。其ア君お隣りの先生へ云ふ事だ。」
「うむ。お隣りの先生と云へば如何して居る。又例の如く引込んで居るんだらう。呼んで見やうぢや無いか。」
「よからう。」と私は壁をトン〳〵と二三度叩いて見た。
「ハロオ、カムイン。」とハイカラの柳田君は早速氣取つた發音で呼掛けると、
「有難う。此樣風をして居るですから………。」と岸本君は其の儘佇立んで居る。
「さ、這入り給へ。」と私は長椅子から立つて立掛けてある疊椅子を廣げた。
岸本君と云ふのは矢張三十近くの稍
「ぢや、失禮します。」と鳥渡腰を屈めて椅子に坐りながら、「洋服はどうも寒くて不可んですから、
すると柳田君は、岸本君の顏を見ながら、
「洋服は寒いですか。」と如何にも不審だと云ふ語調で、「私なんぞは、然うすると全く反對ですね。增して此樣航海中なんか日本服を着やうものなら、襟首が寒くて忽ち風邪を引いて了ふです。」
「さうですかなア。其れぢやア、私は未だ洋服に慣れ無いんですな。」
「柳田君、君は
「いや、今夜は餘り欲しくは無いです。唯だ退屈だから
「だから、話をするには
然し岸本君は返事をせず傾けた顏を起して、「又、大分動いてゐる樣ですね。」
「君。何にしても太平洋だよ。」と柳田君は再び薄い
「柳田君、君は例の如くウヰスキーですか。」
「
「成程、少し動搖するね。まア可いさ。今夜は一ツ愉快な雜談會を催したいもんだな。」と柳田君は安樂さうに足を踏み伸したが、和服の岸本君は明い電氣燈の
「どうしたんです。非常に汽笛を鳴らずぢやありませんか。」
「霧が深いからでせう。」と柳田君が說明し掛けた時ボーイは命じた酒類を盆にのせて持運んで來た。そしてベツドの傍の小いテーブルの上に置きコツプへついだ後再び室を出て行く。
「グツドラツク。」と柳田君が第一にコツプをさゝげたので、私等も同じやうに笑ひながらグツドラツクを繰返した。
何時になつたのか遙に時間を知らせる淋しい鐘の音が聞える。波は折から次第に高まり行くと見え、今はベツドの上の丸い船窓へ凄じく打寄せる響がすると、甲板の方に當つて高い