お目出たき人

武者小路実篤


お目出たき人


高島平三郎先生に
この小冊子を
千の感謝を以て奉る。


自分は我儘な文藝、自己の爲めの文藝と云ふやうなものゝ存在を是認してゐる。この是認があればこそ自分は文藝の士にならうと思つてゐる。されば自分の書いたものゝ價値は讀者の自分の個性と合奏し得る程度によつて定るのである。從つて自分の個性と合奏し得ない方には自分は自分のかいたものを買ふことも讀むことを要求する資格のないものである。表紙の畵は友人有島壬生馬氏の厚意になつた。厚く御禮する。口繪はクリンゲルのエツチング集インテルメチーの序畵である。(著者)


目次

お目出たき人
附錄
二人一四九
無知萬歲一七四
生れなかつたら?一八二
亡友一九〇
空想一九九

お目出たき人


[Pg 1]

 一月二十九日の朝、丸善に行つていろ〳〵の本を捜した末、ムンチと云ふ人の書いた『文明と敎育』と云ふ本を買つて丸善を出た。出て右に曲つて少し來て四つ角の所へ來た時、右に折れやうか、眞直ぐ行かうかと思ひながら一寸と右の道を見る。二三十間先に美しい華な着物を着た若い二人の女が立ちどまつて、誰か待つてゐるやうだつた。自分の足は右に向いた。その時自分はその女を藝者だらうと思つた。お白粉を濃くぬつた圓い顏した、華な着物を着てゐる女を見ると自分は藝者にきめてしまう。

 二人とも美しくはなかつた。しかし醜い女でもなかつた。肉[Pg 2]づきのいヽ一寸愛嬌のある顏をしてゐた。殊に一人の方は可愛いヽ所があつた。

 自分は二人のゐる所を過ぎる時に一寸何げなくそつちを見た。さうしてその時心のなかで云つた。

 自分は女に餓えてゐる。

 誠に自分は女に餓えてゐる。残念ながら美しい女、若い女に餓えてゐる。七年前に自分の十九歲の時戀してゐた月子さんが故鄉(くに)に歸つた以後、若い美しい女と話した事すらない自分は、女に餓えてゐる。

 自分は早足で堀にぶつかつて電車道について左に折れて電車にのらずに日比谷にゆき、日比谷公園をぬけて自家に向つた。[Pg 3]

 日比谷をぬける時、若い夫婦の樂しさうに話してゐるのにあつた。自分は心私かに彼等の幸福を祝するよりも羨ましく思つた。羨ましく思ふよりも呪つた。その氣持は貧者が富者に對する氣持と同じではないかと思つた。淋しい自分の心の調べの華なる調子で亂される時に、その亂すものを呪はないではゐられない。彼等は自分に自分の淋しさを()のあたりに知らせる。痛切に感じさせる。自分の失戀の舊傷をいためる。

 自分は彼等を祝しやうと思ふ、しかし面前に見る時やヽもすると呪ひたくなる。

 自分は女に餓えてゐるのだ。

 自分は鶴のことを考へながら自家に歸つた。[Pg 4]

*  *  *  *  *

 鶴は自家の近處に住んでゐた美しい優しい可憐な女である。自分は鶴と話たことはない。月子さんがまだ東京にゐた時分から自分は鶴を知つてゐた。その時分は勿論戀してはゐなかつたが可愛いヽ子供だと思つてゐた。逢ふ度にいヽ感じがして何時でも逢つた暫くは鶴のことを思つてゐた。しかしすぐ忘れてしまつてゐた。處が月子さんが故鄉に歸つてから三年目失戀の苦がうすらぐと共に鶴が益々可憐に見え、可愛らしく見え、鶴に逢はない時は淋しくなつた。

 自分はその時分から鶴と夫婦になりたく思ふやうになつた。鶴程自分の妻に向く人はないやうに思はれて來た。自分の個性...

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