Title: 續惡魔 (Zoku-Akuma)
Author: 谷崎潤一郞 (Junichiro Tanizaki)
Language: Japanese
Character set encoding: UTF-8
Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka.
續惡魔
佐伯は、頭の工合が日に增し惡くなつて行くやうな心地がした。癲癇、頓死、發狂などに對する恐怖が、始終胸に蟠つて、其れでも足らずに、いやが上にも我れから心配の種を撒き散らし、愚にもつかない事にばかり驚き戰きつゝ生をつゞけて居た。叔母が或る晚、安政の地震の話をして、もう近いうちに、再び大地震の起る時分だと、仔細らしく、豫言したのをちらりと小耳に挾んでから、ひどく神經に病み始め、微かな家鳴震動に遇つてさへ、忽ちどきん、どきん、と動悸が轟いて、體中の血が一擧に腦天へ逆上した。震動が止むと彼は一刻の猶豫もなく、轉げ落ちる樣に梯子段を駈け下りて湯殿へ飛び込み、水道の栓を拈つて熱した頭から水をシヤアシヤア注ぎかけながら、卒倒せんばかりに興奮した心氣を辛くも押し靜める。だんだん恐怖が募つて來るに隨ひ、端が騷がないでも、自分には何だか地面の搖れて居るやうな氣のする事が度々あつた。そら地震だ! かう思ふと矢も楯も耐らず、ひよろひよろしながら立ち上がつて、無我夢中に襖を蹴つたり、床柱にぶつかつたり、散々驚かされた揚句の果てが、
「謙さん、お前さん二階で何をして居るんだい。」
かう云つて、下から叔母に怒鳴り付けられる。すると佐伯はワクワク膝頭をふるはせながら梯子段を下りて來て、例の如く冷水を浴び、
「どうも頭痛がして困るんです。」
と、何氣ない體で答へる。其の瞬間の恐ろしさと云つたら、本當の地震の時と少しも變らず、顏は眞紅に充血して、心臓が面白いやうにドキドキ鳴つて居る。
「頭痛がするからツて、あんなにどたばた暴れないでも好いぢやないか。何かお前さん此の頃氣がゝりな事でもあるんぢやないか。」
「いゝえ。」
と云つて、彼は叔母の追求を避けるが如く、こそこそと、二階へ上がつて了ふ。
本郷は地盤が堅固だと云ふけれど、叔母の家なんか坂道に建つて居るから、いざとなつたら險難なものだ。此處の二階に住んで居た日には、如何に考へても、大地震の場合に助かりやうがない。割合にシツカリした普請ではあるが、體の偉大な照子が上がつて來てさへ、ばたりばたり地響きがする程だから、地震の偉大な奴に出會したら一と耐りもないだらう。「あれエ」とか何とか、叔母が土藏の鉢卷に押し潰されて悲鳴を擧げて居る間に、親不孝の照子はさツさと逃げ出す。のろまな鈴木は逃げ損つて梁の下に挾まれるかも知れぬが、なか〳〵其れくらゐの事で死ぬやうな男ではない。どうしても自分一人が叔母と運命を共にしさうである。………さう思ふと、危險極まる二階の座敷が牢獄のやうに感じられる。
一體地震と云ふものは、略何年目頃に起るのだらう。其れに就いてオーソリチーのある說明を聞いた上、間違ひのない所を確かめたくなつたので、或る時彼はめツたに入つたことのない大學の圖書館へ駈け着け、カード、キヤタローグの抽き出しをガチガチと彼方此方引つ張り出した揚句、斯學に關する書籍を山のやうに借り受けて、一日讀み耽つたが遂に要領を得なかつた。何でも大森博士の說に依ると、大地震はいつ何處に生ずるか豫め知る事が出來ない。古來東京には數囘の大地震があつたが、將來も必ずあるとは明言されぬ。必ずないとも明言されぬ。甚だ曖昧である。今年は大地震があるだらうなどゝ、妄りに危惧の念に驅らるゝは愚昧な話だと云ふけれど、いつ起るか判らなければ心配するのは當り前だらうぢやないか。
どうも佐伯には、大森博士がうす〳〵大地震の起る時期を知つて居ながら、其れを隱して居るやうな氣がしてならなかつた。博士の事だから、大體の見當は付いて居ても、何日の何時何分と云ふ明瞭な豫測が出來ない爲め、乃至いまだ根據のある科學的說明が出來ない爲め、徒らに天下の人心を騷がす事を憂へて發表を遠慮して居るのではあるまいか。何となく其れらしい口うらが講義の中に仄かしてあるやうだ。若しひよツとしてさうだとすれば大變である。天下の人心を騷がせても構はないから、學理上の根柢がなくても差し支へないから、つまらぬ遠慮なんかしないで、大凡その所を早く敎へて貰ひたいものだ。………かう云ふ邪推をすればする程、佐伯はます〳〵薄氣味惡くなつて、知識の無い人間の情なさを、今更の如く悲しんだ。さうして、單身博士の私邸を訪問しやうかと迄思ひ煩つた。「こんな下らない事ばかり苦に病み續けて居て、己はいつ迄世の中に生きて居られるだらう。」―――彼は到底今年の暮れが安隱に越せないやうな心地がした。每日々々、朝夕に五六度も胸をドキ付かせ、渾身の神經をピクピク戰かせて、一つ間違へば氣狂ひになりさうな危かしい輕業を演じながら、どれだけ命が保つて行くだらう。手を換へ品を換へて、執拗に襲ひ來る恐怖の大波を搔い潜りつゝ、盲目滅法に悶え廻り、次第に精根が盡き果てゝ行く無慙な姿を、佐伯は自 ...
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